November 2023

青い海のほとりに立つ白無垢の花嫁はただ色として美しく
榊と檜の葉を敷いた初牡蠣を空にしてにわかに命がのりうつる
紅葉黄葉の森に一点の暗いトンネルを見つめるうちに冬
冬の衣をまとえば雪虫も白い半纏を装う待ち合わせたように
老女の古今をゆき交う話にきき浸るうち山間の湯はあふれて減らず

October 2023

八ヶ嶽の山麓をやさしく踏みゆく痩身の雲の家族らの歩み
夜深く見惚れる水晶の珠はとめようもなく床へ散る
ふれられはしない蜻蛉たちを散らしつつ枯草の辺をゆく
金の稲穂の蜻蛉が消えたと思えば手の甲にいる
相方のひらく水尾のなかを静かに静かについてゆく鴨の夕暮れ

September 2023

褐色のビロードのあげはが扇ぐ朝の風はつめたい
身廊を辿りながら神父が教会の灯を消していく森は宵闇に沈む
楡の木はすべての葉先に至るまであふれる黒い噴水になり滴る
まだ飢えていることすら知らない新月の若い牙が空を噛む
朝の谷底から空へ湧き立つ虹にも生家があると知る

August 2023

いつまでも真昼の円虹に見入るひとほどかなしい眼をもつ
山の上には雲の故郷があるのか夕べの丘をのぼりゆく
白百合の眼に斑らな光が落ちて何も見えないように笑う
静かな音楽のなかに赤ん坊の泣き声をきく里は盆
麻のシャツにそっとすがる糸蜻蛉はおなじくらいさびしい

July 2023

みずからの光に白く透けた林をゆく月は未だ散歩している
日暮れの湖の底に古い村を思うとき一匹の魚が飛び跳ねる
窓の外で時折なにか白いものの降る夜は言葉を忘れる
澄んだ大気には羽の轍が残るのか二羽の鷺が山麓をなぞる
樹上へ舞い上がる二羽の白鶺鴒は版画のように重なる

June 2023

空の薄氷が剥がれ落ちて瘡だらけの瑞牆はきれい
ひざに蓮華躑躅をこぼして雪の高天原は微笑む
光は無色に思えども障子を閉じた川辺の室はまみどりいろ
硝子の文鎮のような水塊が蓮の葉を押さえて震える
なみだの縁の岸辺のようなガーゼタオルの柔らかさ

May 2023

幸いのわけを問われて福々たる月を仰いでも、無言
川なき川の青草を押し倒して水流と風が野を下る
あの木は何と指されてみるほうに遠い白い花ざかり
しばし道をゆずる甲虫がたんぽぽの綿毛を負って歩く
まっしろなアイリスの影はどこにあるのか白雲が積みかさなる

April 2023

湖のあちらからこちらへ水鳥の眠りが移動する
黄水仙から太陽が生い太陽から黄水仙が生う
二羽の鷺が田園をのぼり山へ帰ると雨が降る
赤子のちいさな足裏を押せば真剣な顔で踏み返す
やがて重い緑に溶け合う新葉の色はまだそろわない

March 2023

午睡より覚め年も名も忘れている白昼のひかり
山にも成仏があるのなら頂から舞い上がる雪は魂
出会った牡鹿はながく動かずやがて傷ついた脚を擦る
小川に残る木片のまわりで水の縞模様が踊りつづける
穂高の高みの雪を踏み夢と季節をとり残す

February 2023

室の闇の中にもヒヤシンスの白い香りがここと笑う
浴室の鏡のあちらとこちらをシャボン玉がのぼり弾ける
下草のように楡の木をしたたる雪解けの雫に共にぬれる
白濁の湯のなかに一掴みの雪を沈めれば水晶の骨
白く萎れたみずからの花をヒヤシンスが抱いている