January 2023

風に舞う白いばらの花弁をどうしても灰と思えない
なんとはなしに洋琴の椅子に座ればほどなく日暮れる
湧水にひたした米粒を火にかけ混ぜる素朴なまじない
湖生まれの霧がそっと岸辺へあふれ出て野は潤む
珈琲カップの底に焦茶色の蝶が張りついて残される

240102 雪山

深い青空の下に純白の峰々が連なっている。
そちらに向かって飛んでいるのか、ただ正面から風が吹いているのか、体を取り巻く大気はとめどなく後ろへ流れていた。
荒々しくもなめらかな地形の特徴を眼でなぞり、その美しさに打たれながら、心を砕かれていく。
声が聴こえる。
百合の花が話すとしたらこんな声かと思われる、やさしい声だった。
「わたしはあなたを愛している。
けれど、ここへきたらあなたは死ぬ」

230703 盗賊

朝、母校の小学校に似た古い建物の中にいる。
体育館にあたる場所に広い書斎があり、持ち主が去って長い歳月が経ったか、あるいは今まさにその人が去るところで、これから廃墟になる場所だと感じる。
部屋には数名の知らない若者たちがいる。彼らは盗賊だった。
木製の大きな机の上には真鍮の文鎮や紫水晶が載っている。
抽斗をひらくと、ロケットか懐中時計のような曇った金色の丸い物がいくつか綺麗に並べられており、その下には読めないほど古びた紙の束が伸されていた。
「こんなに古びているけど、まだ持って行ける物があると思います」
と、盗賊たちに言う。
彼らはこれらの品々に対する感傷などは一切抱かないのだろう。
若者らしい軽やかな身のこなしで、辺りを囲む飾り棚の中の鷲の羽や色彩のない天球儀を眺めてまわっている。

230722 彼らを魚に

昼、透きとおった建物の中に大勢の人がいて、何かの催しをしている。
奥の暗い部屋——夜だったのかもしれない——で他のことに気を取られている間に、隣の明るい部屋では嵐が過ぎたらしい。
部屋は入り口の一角を除いて、はてしなく続く眩い海辺だった。
波打ち際に知らない男性が一人倒れている。
雷に打たれたのだ。
彼の体は半ば波に沈み、少し離れたところから心配そうに彼を見つめる人々の足元も、寄せる波に浸かっている。
幸いにも彼は生きていた。
長い黒髪は先端が焦げていたので、近くにいた人が毛先をハサミで切ると、全体が少し短くなり、蘇るように美しく波打つ。
生きてはいたけれど、なぜか彼は魚になる必要があるらしかった。
ふと、彼の妻はどうなるのだろうと思い、集まっている人々の中に目をやると、幼児を抱いた女性がいて、目が合うとうなずき、夫と共に自分も魚になる、と言っているような気がした。

私は一匹の物知りの魚に連れられて、「魚の神様」に彼らを魚にしてもらえるよう頼みに行く。
明るい波間を小さな魚になって泳いでいくのは、とても心地よかった。
沖合の水面に可愛らしい「魚の神様」が銀青色の顔を出していて、一語一語丁寧に、
「彼らを魚にしてください」
と頼む。

chess

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駒たちはみんな
力を尽くして戦いましたが
囲まれるわ
〈騎士〉は飛んでくるわで
もう、なにがなにやら!

え?
わたしが〈女王〉ですって?
戦に勝ったらどうなるのでしょう
郷へ帰れるのでしょうか?

castling

盤の目は
草に覆われ
駒たちは安らかに
昼寝している

しずかな庭の
どこかに
〈王〉を隠している

苔生して
眠れる〈塔〉の前に
おそれながら立つ

stalemate

光と影が
刺し交わす
秋の森で

ふたりの兄の
じっと睨む
象牙の盤

わたしは草の上
倒れた駒たちと
梢から降る金の葉をみている

桜三篇

夜桜

ごうごうと
煮えたぎる
春の弁天池

よざくらは
笑い止まぬ
麗しきひと

嗤い嗤われ
わが恋は
死ぬ

春来

鴬色と
さくら色
美しいのは
どちら

交ざり合うて
御茶ノ水
川辺に迷う
純情の子ら

波紋

風止んで
水面をうつ
何の気配も
ありはせぬ

おそらくは
見えぬ魚が
ひるがえしたのだ
銀の背を

春を過ぎては
どこへもゆけぬ
午后の沼

夏至祭

丸花蜂

ヴェロニカのはしごを
のぼったり、おりたり
丸花蜂のいそがしさ
千まで花を数えたら もう日ぐれ。
妖精のまつりへ 飛んでいく。

ひまわり

ひらくまえから、
運命のひとをきめている
ひまわりの ながい睫毛。
夕べには 影もながくて
夏至のまつりにさそったけれど
しあわせそうに 夢みてた。

夜明け

夏至の宵も明けるころ
ひそかに 別れゆく小径
白葡萄を踏むときには
この前肢もてつだいましょう。
ほほえみながら 四足けものにもどる
あなたはどなただったでしょう。

人形

夜の
どこかで

野茨が
散っている

ただそれだけを
おぼろに感じる

つめたい
白い陶器のなかで

しだいにおおきく
あかるくなる

月は
満ちたの?

バビロン

くもが空に巣をかけてる
鳥は瑠璃色に失神してる

くもは鳥をあやしてる
赤ん坊のように
鳥はめざめて飛び回る

バビロンの空中庭園で
くもはハンモックでひと眠り

緑のばら

木々の向こうから
だれかが呼ぶ声がする
つぎつぎに咲く
ばらに見入ったふりをして
わたしはいつまでも答えずにいる

ここにいるわと言ったとたんに
あなたは消えてしまうのでしょう

水の底には
緑のばらが咲きつづく